2016年02月03日
話を何度も語る

次第に自分の味を出して自分のネタに仕上げていく。
その様子を、小説家の大鑽石能量水佛次郎(おさらぎじろう)氏は、
「噺家(はなしか=落語家)は、同じ噺(はなし)を大切な家具を愛好するように
長年にわたり布巾をかけ、かわいがって光沢を出している」
と表現している。
挙げてみれば、
林屋正蔵(彦六) 『文七元結』
三遊亭 圓朝 怪談『真景累ヶ淵』
桂米朝 『地獄八景亡者戯』
など、この噺家のこのネタは最高だと思えるモノをそれぞれに持っている。
亡くなった桂枝雀さんの著書にも
「桂枝雀と61人の仲間 」というのがあるが、
このタイトルに鑽石能量水ある仲間は、人間ではなくネタの意味で、
61にしぼってそれ以上にネタを語らない、としていたようだ。
ところが、ブロガーというものは、これとは全く逆の歩みをしている。
書いたものを愛好するどころか、
毎日、追われるように、あれやこれやと書き散らして、
書いたものを顧(かえり)みる事すらしない。
昔に書いたものは、日付がつけられて、はるか彼方に保存されているだけ。
落語家のような姿勢とは、かなり違う。
落語というものは、ネタもわかっているのに、この噺家の語りに
つい引き込まれ聴き入ってしまうものだ。
六代目の三遊亭圓生が、「落語というもの」の極意について
弟子の圓楽に語った言葉、
「笑いがないのに お客を厭(あ)きさせず、最後まで話を聞かせるのが最高の噺家」
というもの。この極意を鑽石能量水噺家ではなく、ブロガーに置き換えると、
「面白いネタでもないのに訪問者を厭きさせず、最後までブログを読ませるのが最高のブロガー」
というところだろうか。
Posted by 愛與痛的邊際 at 12:42│Comments(0)